小田原・箱根の自然と伝統の技が創りだす木工芸

今から千年余り前の平安時代、多くの木地師が西国からたどり着き、ここ小田原を木地挽の里と定め木地椀を作り始めました。小田原市早川に鎮座する「紀伊神社」には木地挽の神様である「惟喬親王」がお祀りされています。惟喬親王伝説*が伝わる、一番の東方の地が小田原市早川になります。
その後、木地師たちは良材を求め箱根の山々にも入っていきます。時が室町時代にはいるとこれらの木地椀や盆、器類に漆が施され、見事な木目を活かした『小田原漆器』が誕生します。戦国時代、北条氏が治めた時代にはその技術は保護、奨励され発展していきます。
江戸時代になり台鉋や鋸など新しい道具が普及すると、樹種が豊富な箱根では幕末に箱根町畑宿の石川仁兵衛により、赤色材・白色材・黒色材・茶色材等々様々な材を寄せて美しい幾何学模様を表す『箱根寄木細工』が作り始められます。この時代長崎のオランダ商館のドイツ人医師シーボルトは、江戸参府の途中この箱根寄木細工を多く購入し、母国へ持ち帰っています。
これら小田原漆器・箱根寄木細工は、昭和59年5月31日に伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)の指定を受けて、国の伝統的工芸品になりました。

伝統的工芸品とは

主として日常生活で使用する工芸品であること。
製造工程のうち、製品の持ち味に大きな影響を与える部分は、手作業が中心であること。
100年以上の歴史を有し、今日まで継続している伝統的な技術・技法により製造されるものであること。
主たる原材料が原則として100年以上継続的に使用されていること。
一定の地域で当該工芸品を製造する事業者がある程度の規模を保ち、地域産業として成立していること。

WAZA屋は小田原漆器(2社)・箱根寄木細工(8社)の専門店であり、作り手が直接販売するお店です。
* 惟喬親王伝説
惟喬親王は、第55代文徳天皇の第一皇子であったが、皇位継承に敗れて木地師の祖神として崇められていた。その伝説は、滋賀県近江市(小椋谷)を中心に近畿・東海地方に伝わっている。小田原では伊豆に流される途中に嵐に遭遇し相模国土浦(小田原市)上陸されたが、間もなく薨去。親王の跡を追ってこられた妃が親王の霊を木宮大権現として祀られたとされている。(参考:中島伸男著 追録惟喬親王伝説)

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